●「国東照太の生涯を知る!」早見年表●

西暦
(年号)
照太
年齢
国東照太の歩み
香川の出来事
日本の出来事

1887
(明治20)



















1月1日誕生







栗林尋常小学校に入学


明治時代の讃岐国について


多度津を基点とし、丸亀琴平間に汽車開通
(讃岐鉄道)
市町村制により高松市に市制実施


内町に香川県庁舎が新築落成
四国初、市内配電の開始

大日本帝国憲法発布(1889)



日清戦争(1894〜95)


1897
(明治30)







10
11



15
16
17



紫山高等小学校に入学



高松市立商業学校に入学
父長太郎死去
高松市立商業学校を中退



讃岐鉄道、丸亀〜高松間開通
高松出晴〜長尾間に乗合馬車開通
郡制が改正され、香川県を2市7郡に統合





高松〜仏生山間に乗合馬車開通








日露戦争(1904〜05)


1907
(明治41)







20










高松〜宇野間の連絡船開通
高松〜香西間に乗合馬車開通
高松市内初、電話の開通

高松今橋〜志度間の電車開通



今橋〜栗林公園間の電車開通




韓国併合(1910)



第一次世界大戦に参戦(1914)



1917
(大正6)







30



34


37






母ツネ死去


常磐製紙所の操業開始








堺〜高松〜徳島〜堺の三角コース定期航空開始


原敬内閣が成立(1917)





関東大震災がおこる(1923)



1927
(昭和2)








40




45










常磐製紙所分工場設立








屋島ケーブル開通

八栗ケーブル開通





金融恐慌がおこる(1927)



満州事変がおこる(1931)






1937
(昭和12)







50

52

54

56

58
59



高松市会議員に当選

紺綬褒章受章

高松市会議員に再選

(財)亀阜幼稚園理事長
高松市会議長に就任









高松市戦災のため市大部分が焦土と化す

日中戦争がはじまる(1937)



太平洋戦争(1941〜45)


広島・長崎に原子爆弾投下(1945)
日本国憲法制定公布(1946)

1947
(昭和22)












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66




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第12代高松市長に就任(官選)
市長選挙において公選第1代市長に当選就任


高松市長に再選(公選第2期)

四国石油(株)を創設社長就任
(株)常磐タクシーを創設社長就任

高松市長に当選(公選第3期)


高松高等裁判所ほか、中央官庁の出先機関が新設
高松市出身の菊池寛逝去
香川大学発足


市営競輪場開設




松平公益会より玉藻城地、披雲閣、月見櫓等を高松市が譲り受け玉藻公園として開放
大阪〜高松間に定期航空便開始





サンフランシスコ平和条約・
日米安全保障条約締結(1951)







ソビエト連邦と国交回復(1956)

1957
(昭和32)











70
71



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76
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常磐染色(株)を買収社長就任
香川いすず自動車(株)を設立社長就任
高松市長に当選(公選第4期)
紺綬褒章受章

藍綬褒章受章
高松市長に当選(公選第5期)
紺綬褒章受章
勲四等瑞宝章受章









高松市民会館完成












経済協力開発機構に加盟(1964)



1967
(昭和42)




80
81

83
84



高松市長退職

金婚祝賀会開催
高松名誉市民章受章
勲三等旭日中綬章受章







沖縄諸島が日本に復帰(1972)